「先端」は円錐の頂点ではない。それは広がる水たまりのへり、辺縁、境界、前線。最先端は辺縁にある。
「先端」は円錐の頂点ではない。それは広がる水たまりのへり、辺縁、境界、前線。最先端は辺縁にある。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』
思っていたより良かった。ラストで主人公が死ぬのがとても良い。リベンジものフェミニズム映画の限界でもある。
『軽蔑』良かった……
言論空間として成立していない場所で、議論はそもそも生じない。前線より遥かに離れた場所で子供が興じるおままごとでしかない。
抑鬱はポストアポカリプス、宴のあとである。球場は宴の最中だった。しかし画面越しでは文字通り「あとの祭り」となる。よくできた巨大なスペクタクル装置。
「この子らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」でなければならない。
『暗殺の森』よかった……
『火垂るの墓』を兄と妹の擬似夫婦=近親相姦ロマン物語であるとするならば、宮崎駿の「海軍将校の子が死ぬはずない」という指摘も矛盾しない。
VTuberにしろ、アニメにしろ、粗雑で幼稚な紙芝居にあやされなければ生きていかれぬほどに生は悲しいのだなと思う。
すべての理論は陰謀ならざるを得ないとしても、「陰謀」の用法が荒い。あまりしっくりこない。「幻想」でちょうどいいかもしれない。
手直しするつもりはないのでそのまま。